渋谷Bunkamuraにて鑑賞
↓ は先月末に閉店した渋谷東急(併設のBunkamuraは4/9まで営業)
この映画が公開される前は、「アイルランドが舞台の映画だから、劇場で観たい」と思っていたけれど、いくつかレビューを読んでいると、満足度の低かった人もそれなりにいる様で、迷ってしまった
最終的には「観ないで後悔するよりは、観ておこう」と決心して、いざ渋谷に
アイルランドにある小さな島、イニシェリン島(という架空の島で、撮影は主に ↓ のイニシュモア島で行われた)
時は1923年、本土では内戦が続いていたが、この小さな島には(時々、爆発音や煙が見えるものの)何の影響も無く、静かで平和な毎日が続いていた
静かで平和、言い換えれば息苦しくなる程の退屈さの中で、独身の中(高)年男性のパードリック(コリン・ファレル)は、数年前に両親が亡くなって以来、妹のシボーン(ケリー・コンドン)とふたりで暮らしていた
唯一の楽しみは、午後二時からいつものパブに行って、同じく独身の友人のコルム(ブレンダン・グリーソン)らとお喋りすること
そんなある日、いつものように午後二時に、一人暮らしのコルムの家に「そろそろパブに行こう」と、誘いに行ったが、無視されてしまう
翌日も同じように避けられてしまい、ついには
「お前とはもう話したくない」と
そして「これ以上話しかけるのなら、その度に(フィドルを弾くのが好きな自分にとって大切な)指を切り落とすからな」とまで言われてしまう
自分が死ぬまでの年月、この島で暮らしていく中で、これからも毎日パードリックのバカ話(ロバの糞について2時間喋ったり)に付き合うことを考えると、ゾッとする気持ちもよくわかる
フィドルで作曲する楽しさを覚えたコルムにとっては、今まで潜在的にしか感じていなかったパードリックの向上心の無さや、無神経さなどが、次第に許容できなくなったのかもしれない
一方のパードリックにすれば、この退屈な島で(仲間とビールを飲みながら楽しいお喋りすることで)ずっと暮らしてきたのに「何を今さら」という思いと、突然の批判に対する怒りもあるはず
「自分にも(パードリックとコルムに似た)両方の要素があるから、気持ちがわかるなあ」と思いながら観ていたけれど、後半の怒りが止められなくなる辺りから「これはレベルが違い過ぎる」と、(ストーリーには深く入ったままで)共感度は急降下
この辺りの「常軌を逸していく」様子は、さすがアイルランド人、或いは「スリー・ビルボード」のマーティン・マクドナー監督(アイルランド人の両親を持つ)らしさを感じさせる
ふたりの男の妥協できない諍いを、内戦やイギリスとの戦争に重ねている
人間にとって重要な事であればあるほど、「1ミリも譲れない」という感情に走ってしまうけれど、そこで敢えて「水に流す」ことが出来れるのは、心の強さなのだろうな、と思った
そして、「水に流す」という表現が存在する日本語、日本人の考え方って良いなとも(もちろん時と場合によるし、譲ることができない日本人もいるけれど)
明日は、フランソワ・オゾン監督の話題作を紹介します