無人島シネマ

忘れてしまうには惜しい映画 および雑記

122. 飛べ!ダコタ

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終戦5か月後に佐渡島で実際にあった話を映画化したもの

 

 

1946年1月、イギリス軍の要人機ダコタが佐渡島に不時着する

 

ついこの間まで殺し合いをしていた敵国、島にもイギリス軍に家族を殺された者もいて、島民は大いに戸惑うものの

 

戦争は終わったのだから、困った人を助けるのは当たり前

 

と、イギリス人たちを民宿に泊めることにする

 

イギリス人たちも、最初は強い警戒心を示すも、徐々に打ち解け島民に感謝するようになっていく

 

 

 

 

ダコタの整備士の息子が、「かつて父が皆さんにお世話になりました」と、告げにイギリスから佐渡島に来た(!)ことがきっかけで、この事実を風化させまいと地元の協力もあり映画化されたもの

 

地元の協力といっても、この話が60年以上も公にならなかったことには、長い間「良いことをしたんだ」と言える時代ではなかったという理由もあり、またこの出来事の後に引き揚げてきた、或いは戦死が判明した方もいて、複雑な思いの中でのもの

 

本作にも、島民のひとりが親友が戦死したビルマ戦線でダコタが活躍したと知り、憎悪からダコタに火を放とうとするシーンもある

 

 

 

争いの遺恨をいつまでも擦り付け合って新たな争いを始めてしまうことが多い中、この映画には本当に救われる

 

2013年の公開

 

121. ホテル・ニューハンプシャー

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1984年のイギリス、カナダ、アメリカの合作

 

ニューハンプシャーは、ニュー・イングランド地方にある州で、自然に囲まれ、人口の9割以上が白人で、平均世帯収入が全米7位という、いわゆるニュー・イングランド地方のイメージ通りの州

 

地元出身のジョン・アーヴィングの小説が原作

 

珍しく小説を先に読んでいたので、最初に本作を鑑賞した時には、(小説の心地よい読後感が残っていたせいか)長編を無理やりコンパクトな映像にまとめたような違和感があったけれど、今回十数年振りに観直してみたら(小説の記憶が薄れただけかもしれないけれど)これはこれでよく出来た映画だと思った

 

 

ホテルを経営するベリー家の物語

 

ユダヤ人のフロイトが経営する、クマの曲芸が売りのホテルで、アルバイトをするウィンは、バイト仲間のメアリーと仲良くなる

 

その後ウィンはハーバード大を卒業、教師の職を得て、メアリーと結婚し、5人の子宝に恵まれるも、いつか(熊の居る)ホテルを経営したいという夢を持っていた

 

そんなところに売りに出ていたメアリーの母校である女子高(廃校)の校舎を見つけ、ウィンは(家族が一緒に居られることを口実に)ホテルの経営を始めるために女子高を買い取り、「ホテル・ニューハンプシャー」と名付ける

 

そんなベリー家の子供たちは、長男のフランク(ポール・マクレーン)は同性愛者、長女のフラニー(ジョディ・フォスター)は美しくて気が強く、次男のジョン(ロブ・ロウ)はそんな姉が大好きで、次女のリリー(ジェニー・ダンダス)は成長の止まった文学少女、そして耳が不自由な三男のエッグ(セス・グリーン)と、なかなかの個性派揃い

 

学校でいじめられたり、不良グループに乱暴されたり、いろんな不幸に見舞われながらも力強く育っていく

 

ホテル経営は当初こそ順調だったものの、祖父の急死以降はうまく行かず、ある日、長い間音信不通だったフロイトから「熊の居るホテルを入手したから経営を手伝ってほしい」と頼まれ、これもチャンスとばかりに一家でオーストリアに移住する

 

しかしメアリーとエッグは(家族とは別フライトにしていた)ウィーンに行くフライトで飛行機事故に遭い、死んでしまう

 

 

文字にすると悲惨な出来事ばかりの様にみえるけれど、(どんなに辛いことが起こってもいつもと同じように明日が来る、と言わんばかりに)一家は逞しく、時には楽しそうに生きていく

 

今の時代はこの頃には存在しなかった新たな「生き辛さ」もあるけれど、人の逞しさ(しぶとさ?)は相変わらずであってほしい

 

 

自分の中ではまだ小説に分があるけれど、次はまた映画にしたいと思う 

 

120. タクシー運転手

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ふと気が向いて新宿の映画館(シネマート?)で鑑賞した2017年の韓国映画

 

↑ の呑気な写真からは想像できないけれど、本作は1980年5月11日に起こった「光州事件」をテーマにしている

 

 

光州事件とは、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が暗殺されて18年にも及ぶ軍事独裁政権が終わるも、わずか二か月後に軍部が粛軍クーデターによって実権を握り、軍事政権の復活を警戒する学生らの民主化デモが韓国全土に拡大したもの

 

軍部が有力政治家を連行したことで、民主化を求める学生デモはさらに激化し、南部の光州では空挺部隊が投入され、市民への発砲で多くの死者、行方不明者が出た(認定された死者は154人、行方不明者70人、負傷者1628人 、、実際にはもっと多いとされている)

 

この非常事態を世界に向けて報道しようと、現地に向かおうとするドイツ人記者のピーターに対して、10万ウォンという高額な運賃を吹っかけてピーターをタクシーに乗せる運転手のキムが本作の主人公

 

最初は割高なタクシー料金にしか興味がなかったキムも、仲間や市民との出会い、そして無残にも次々に死んで行く若者たちを見るうちに、ピーターの使命を理解するようになる

 

事態を隠蔽したい政府は、必死でピーターのカメラを没収しようと光州からソウルに戻ろうとするキムのタクシーを追跡する

 

 

 

 

この光州事件が起こったのは1980年

 

「40年以上も前の話」ではあるけれど、今の60代より上の世代には記憶も鮮明な出来事だろう

 

「ペパーミント・キャンディ」(2000年公開)でも、ちらとではあるけれど光州事件について触れられていて、いろんな人の人生に色濃く影響を与えた出来事として描かれているのがわかる

 

 

日本の1980年といえば、クリスタルキングの「大都会」に、シャネルズの「ランナウェイ」、もんた&ブラザーズの「ダンシング・オールナイト」が流れていた頃、、、隣の国で起こっていた事件を考えると何とも呑気な気がする

 

 

119. 華氏119

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2018年のアメリカ映画

 

タイトルは、マイケル・ムーア監督が、アメリ同時多発テロの際のブッシュ大統領の対応を批判した、2004年の「華氏911」にちなみ、トランプがヒラリーを破って勝利宣言した11月9日から数字を拾ったもの

 

数字の前に華氏が付くのは、レイ・ブラッドベリSF小説華氏451度」をもじっていて、本作の原題も ↑ のポスターに書かれているように「FAHRENHEIT 11/9」と数字にはスラッシュが入る

 

 

トランプに対してはもちろん否定的ではありながらも、本作での焦点は、

 

「なぜこんな愚かなことが起こってしまったのか?」

 

というもので、アメリカの選挙制度の問題点や、結果としてトランプを選択してしまった(自身を含めた)アメリカ国民への批判、反省を試みている

 

 

 

本作に登場する「トランプ支持者」の話を聞いていると、自分たちの理屈は辛うじて通っていても、やはり利己的であることは否定できないし、社会全体を考える責任は最初から放棄している風に見える

 

「今さえ良ければ」、「オラが村さえ良ければ」である

 

観ているウチに「トランプのような社長や上司が世の中には結構居そうだな」とか、「こういう上司とうまくやれる部下は存在するだろうし、言うことを聞く部下を重用する上司との相性は抜群だろうなあ」とか、すっかり会社の話に置き換え考えてしまった

 

こうした関係はどこにでも存在するし、上司の暴走加減、ブラック加減が一線を越えなければ一定期間有効に機能するとも思う

 

実際のところ、経済的に余裕がなくなってきたアメリカ人の心の中に

 

「目先の暮らし向きが良くなればいいな」

 

という理由で、支持したり、支持しないまでも積極的に非難しなかったりした「心の隙」が生まれたことは否定できない

 

あやうく二期目に入るところだったから「心の隙」というのは余りにも控え目な表現だけれど、問題だったのは上司の暴走加減が最初から一線を越えていたこと

 

会社との違いは、アメリカ国民の場合は上司を選択できることなのに、、、

 

 

 

どの国にも「隙」や「闇」はあるし、日本も例外ではないけれど、こうした危うさに関してはアメリカは群を抜いている気がしてならない

 

もしもトランプの表現方法がもう少し上品で穏やかだったら、、、もっと多くの国民に(しかもより長い期間)支持されていたかもしれないと思うと、改めて大衆心理の恐ろしさを感じる

 

118. スミス都へ行く

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1939年公開のアメリカ映画

 

学生の頃、過去の洋画(名作や有名どころを)一通り観ておこうと、電話帳くらいの厚さの映画紹介本を読んで、せっせと観ていた

 

ローマの休日」、「市民ケーン」、「アラビアのロレンス」、「十二人の怒れる男」、「天井桟敷の人々」などの往年の名作から、「ロッキー」や「バック・トゥ・ザ・フューチャー」まで、時々邦画も挟みながら飽きもせず

 

本作は、何故かその中で漏れてしまった

 

タイトルがピンと来なかったのか?今となっては自分にもわからないけれど、原題は 「Mr. Smith goes to Washington 」

 

本題をいじらないという意味では妥当というか安全な訳ではあるけれど、結果としての邦題が「観てみようかな」と思わせる魅力に欠けるのはどうなのか?

 

そう思うと邦題を考えるのも難しい

 

 

 

汚職にまみれたベテラン政治家たちの操り人形として、議員に祭り上げられた新人のスミス(ジェームズ・スチュアート)が、熱意と正義感で立ち向かうという話

 

80年前の作品に、アメリカの民主主義の腐敗した部分が既に描かれていると同時に、正義を諦めないストレートな情熱も伝わってくる

 

絶対的不利な状況から、秘書のサンダース(ジーン・アーサー)のサポートで経験(知識、情報)不足を補い形勢逆転していく

 

 

 

ジェームズ・スチュアートといえば、ヒッチ・コック作品(54年「裏窓」、56年「知りすぎていた男」、58年「めまい」など)の渋目のジェントルマンな印象が強いだけに、ここでの青臭いほどの熱演は驚きだった

 

議長を演じたハリー・ケリーの表情(どの程度スミス議員に好意的なのか測りかねるし、ストーリー上で特に重要というわけでもないけれど、やけに印象的)は、もはや顔芸のレベルだ

 

ちなみに顔芸に該当する英単語はコレといってない(と思う)

 

日本人と比較すると表情が豊かな人が多いせいなのか、敢えてそれを表現する単語がないのかもしれない、、、どなたかご存じでしたら教えてください

 

117. 二重生活

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大学院生の白石珠(門脇麦)は、ゲームデザイナーの卓也(菅田将暉)と同棲中

 

平穏な日々を過ごしていたところ、修士論文のテーマに担当教授の篠原(リリー・フランキー)から「尾行的哲学」を勧められ、心のバランスを失っていく

 

「無作為に選んだ対象で、その対象とは接触しない」というルールでの尾行

 

という一応の建前はあるものの、かなり不安な心境で(そりゃそうだ)隣人の石坂(長谷川博己)を尾行し始める

 

 

尾行することで、豪華な一軒家に美しい妻と可愛い娘と暮らす対象者の秘密が次々と明らかになっていくことで、球は罪悪感と高揚感から尾行をやめられなくなってしまうと同時に卓也との関係が疎かになっていく

 

 

 

2016年の公開

 

 

菅田将暉出演ということで、(嫌いな俳優ではないのに)「彼が出演していることが作品のセールスポイントだったら嫌だなあ」と思っていたけれど、実際には意外なほど脇役に徹していた

 

それでも、唯一の見せ場での台詞と、それに対する門脇麦の反応は本作一番のシーンだった

 

 

修士論文のテーマとか状況設定には無理があるし、尾行シーンは背徳感強すぎて落ち着いて鑑賞できなかったけれど、哲学と道徳を考えながら観るのは新鮮で興味深い

 

 

道徳は「善悪の認識のもとに順守するもの」と説明できるけれど、哲学は「原理、理想を追い求めるものだっけ?」と、表現しようとする途端に頭が痛くなるけれど、このふたつは相容れないことが多そうだ

 

法律や世間の常識の中で「哲学的な実験」を行うのは非常に危険だし、ましてやそれを映画作品の中で表現するのはかなり無理があるけれど、本作のアプローチは悪くないと思う

 

116. エンゼル・ハート

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本作公開が1987年

 

そして翌1988年に「ミシシッピー・バーニング」公開

 

と、アラン・パーカーが監督として一番勢いのあった頃の作品

 

 

当時は洋画を観始めて間もなかったし、公民権運動についてもほとんど知らなかったから、最初に観た人種問題を扱った映画として「ミシシッピー・バーニング」には衝撃を受けた

 

今から振り返ると(エンターテインメント作品としての妥協できるラインを越えて)事実と異なることが気になってしまうけれど

 

本作はその点、フィクションだし、自分がニューオリンズや、ヴードゥー教、ロバート・ジョンソン(クロス・ロードで悪魔に魂を売ってしまった)に興味を持ち始めた時期と重なっているし、またロバート・デ・ニーロや(まだカッコよかった頃の)ミッキー・ロークが出演していることもあって、結構な思い入れで観た記憶がある

 

 

 

1950年代のニューヨーク

 

私立探偵のハリー・エンゼル(ミッキー・ローク)は、弁護士を介してルイ・サイファー(ロバート・デ・ニーロ)からの調査依頼を受ける

 

それは、戦争で精神を病んでしまい入院していると言われている、戦前に人気のあった歌手、ジョニーを探してほしいというものだった

ハリーは早速精神病院に行き、ジョニーのカルテを見せてもらうが、そこには既に退院したと書かれていて、しかも明らかに筆跡の違う不審な記述も見つかる

 

捜査を続けるハリーに次々と事件が起こり、真相に近づいたと思ったら遠ざかってしまう

 

 

 

 

初めて本作を観てから 2、3年後、ニューオリンズにあるヴードゥー博物館に行ってみた

 

小さな民家を手作りで展示場にしている風で、ヴードゥーについて学べるわけでも、エンターテインメントがあるわけでもなく、正直がっかりした

 

むしろ(本作を観て憧れた)ホテルで蛇腹のエレベーターに乗れたことの方が断然嬉しかった

 

 

本作から28年後、「さざなみ」で名演技をみせるシャーロット・ランプリングが、悪魔崇拝者の役で出演している