引用元:amazon.co.jp
2005年公開の作品
原作は村上春樹「レキシントンの幽霊」の中に収められている「トニー滝谷」という短編を映画化したもの
映画も76分という短さながら、監督に市川準、音楽は坂本龍一という豪華な布陣
心の深いところをあっさりと描く村上春樹独特の世界を、西島秀俊の淡々としたナレーションで導き、その上に坂本龍一のピアノが加わることで、小説の不思議な浮遊感がさらに増している
機械などを正確に描く工業系イラストレーターとして成功したトニー滝谷(イッセー尾形)
父親の正三郎(イッセー尾形:二役)はプロのトロンボーン奏者で、戦時中は上海のナイトクラブで活躍していたという
世話になっていたアメリカ軍の少佐・トニーから名前をもらい、「トニー滝谷」というのが息子の本名となる
母はトニーを生んだ三日後に亡くなり、父親はツアーで出ていることが多く、また外国人のような名前を揶揄われることを嫌い、彼はひとりでいることを好むようになった
ある日、雑誌社から担当としてやってきた英子(宮沢りえ)の服の着こなしに魅了されたトニーは、彼女を食事に誘い、やがてふたりは結婚する
ずっと孤独だったトニーは、失いたくない人との生活を得て不安に感じるも、徐々に幸せな暮らしに慣れていく
英子は家事も上手にこなしていたし、基本的にそれ以外は彼女の自由に暮らして欲しいと願っていたトニーではあったが、度を越していると思う「あること」を車の中で英子に告げる
小説と映画は別物だから(もちろん筋書きへの忠実さなどはあるにしても)再現という表現は少し違う気がするけれど、先に読んだ小説のイメージを壊すことのない映画だと思う(ちなみに映画では小説に無いシーンが若干加えられている)
そういう意味では、村上春樹の小説が苦手な方は観ない方が良いだろうし、好きな方は本作を観て期待を裏切られることは無いだろう
同じ村上春樹の原作でも、映画「ドライブ・マイ・カー」は、設定とストーリーの骨格をベースに、作者の意図は引き継がれているものの、別作品とも呼べる程に膨らませていた
宮沢りえは、こういう現実感が無い様である様な(?)作品に向いていると思った
「言わなきゃよかった」
と後悔することは、人間誰しもあるだろう
(本作でトニーが妻に告げたことは)「さすがにこれは仕方がないだろう」とも思うけれど、それにしても悔やんでも悔やみきれない気持ちが伝わってくる
それは「発した言葉」に対するものでも「起きてしまったこと」についてでもなく
「(孤独だった自分の前に現れてくれた人に対して)もっと何かしてあげられたことは無かったのか?」という後悔だったのだろう