無人島シネマ

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364. アイヌモシリ

引用元:eigaland.com

 

14歳の少年カント(下倉幹人)の自宅は、北海道阿寒にあるアイヌコタンの中にあるアイヌ民芸品の店

 

一年前に父を亡くしてからは、母のエミ(下倉絵美)がひとりで店を切り盛りしている

 

父親を尊敬し懐いていたカントは、最近アイヌの活動からも距離を置くようになり、友達とのバンド活動に熱中していた

 

高校進学を控え、進路相談でも、担任の先生(三浦透子)に「ここから離れることができれば何処でも良い」と発言して母に呆れられる

 

そんなカントだったが、亡き父の親友でアイヌコタンの中心人物でもあるデボ(秋辺デボ)にキャンプに誘われ、その中でアイヌの自然に対する考え方や文化を教わり吸収していく

 

そしてデボから子熊の世話を頼まれたカントは、目を輝かせてそれを快諾する

 

 

 

 

ここで描かれているのは、日本の中でアイヌ文化をどうやって維持していくのかではなく、アイヌの中でそれが揺れている様子と、葛藤するひとりの少年の姿

 

町が観光に依存している以上は「民族文化をどう見せるか」を考えていく必要が(しかも自身たちの中でさえ文化や記憶が薄れていく中で)あり、またそのコアな考え方にも関係するヒグマを殺してその魂を神に送り返す儀式「イオマンテをどうやって継続するのか(実際に映画の中でも意見が割れる)を考える必要がある

 

更には、少年から見たオトナの世界の不条理やカッコ悪さ、正義感に引っかかるモヤモヤした気持ち、それらを拒絶したり反論したりしながら自身の中で何とか消化していく成長過程といった普遍的なテーマも描かれていて、ドキュメンタリー的な学習として観る価値だけでなく、娯楽映画としても内容の濃い作品で、実に観応えがあった

 

 

カントの母が営む店で、ひとりの観光客が放つ言葉にギョッとさせられたけれど、こうした刺激も(映画の中では正直浮いていた)アイヌ問題への関心喚起という意味では効果的かもしれない

 

またスウェーデン北部に住むサーミ人を描いた「サーミの血」にも共通する部分もあるけれど、少数民族の問題については、他民族のケースも吟味しながら参考にしつつ、内外で(個別にも共同でも)議論していく必要を感じた

 

アイヌコタンにも再訪してみたいし、白老町にオープンしたウポポイにもいつか行ってみたい

 

 

*北海道でのイオマンテは、1955年に知事からの「野蛮な儀式」という通達があり事実上禁止され、2007年にその通達が撤回されていることからも、内外共に明確な意思と方向性を示すことができていない現状がわかる

 

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