久しぶりに新宿武蔵野館にて(イベント割で一般料金1,200円)
30歳になった佳純(三浦透子)は、チェロが大好きで音大を出たものの、音楽の道を諦めて実家に戻ってきた
企業のコールセンターで忙しく働く毎日は、特に苦でもないけれど、結婚した妹・睦美(伊藤万理華)が妊娠したこともあって、母親(坂井真紀)からの「そろそろあなたも」的なプレッシャーにウンザリしていた
そのこと自体はよくある話だと、母親が強引にセッティングするお見合いも、半ば諦めていた佳純だったが、実はそれだけではない何かを感じていた
それは、自分がこれまで誰にも恋愛感情を抱いたことが無く、この先もどうなのかわからない、ということ
(洋服を買いに行こうと)母親に騙されて連れてこられたお見合いの場で、相手の男性・木暮(井島空)から「母親がうるさいからここに来たけれど、自分にとって恋愛は優先事項ではない」と告げられ、安心した佳純は友人関係を築いていく
ところが、何回目かのデートで一泊旅行をした時に「会っていくウチに段々好きになってしまった」と木暮に告白され、それに対して(木暮がどうこうではなく)「恋愛感情を抱けない」と正直に説明するも、「馬鹿にするな!」と怒らせてしまう
そんな佳純が、地元に戻ったことを実感する、出来事がふたつ起こる
ひとつは、小学校の時のクラスメートだった剛史(前原滉)と、道を歩いている時に再会する
都会での生活に限界を感じて、地元の保育園に転職していた剛史から、「子供が好きだったら、一緒に働かないか」と誘われ、特にコールセンターの仕事にやり甲斐を感じていたワケでもなかった佳純は、あっさりと転職する
しばらく同僚として働くうちに、剛史から「自分はゲイで、そのことを不自由に感じたことで地元に戻ってきた」と告げられる
ふたつ目は、ある日、ひとり砂浜の上でぼんやりしているところを、中学時代の同級生・真純(前田敦子)に声を掛けられ、週末のキャンプに誘われる
夜、テントで眠る前に、当時真純とは特に仲良しだったわけではないけれど、口下手な自分を代弁してくれたことを今でも時々思い出すことなど、普段の佳純からすると、「らしくない」ほど素直に自分の話をする
それから数日後、保育園のイベントで「デジタル紙芝居」を作ることになり、佳純はその語りを「声が大好きだから」と、真純にお願いする
そして録音の為に佳純の自宅に来た真純だったが、出し物の「シンデレラ」のストーリーを読むなり
「なんでみんな王子様と結婚したがるの?女性の幸せは結婚で、それが叶えばめでたしめでたしなの?その後の方が全然長いし、大変だし、一体何なの、ナメてんの?」
と思いの丈を佳純にぶつけると、佳純も自身の抱えているモヤモヤを真純に説明する
そして、「だったら佳純の視点でシンデレラのストーリーを描き直そう」と、ふたりはイチから作り直すことに決める
なんでタイトルが「そばかす」なんだろう?と思っていたら、佳純のフルネームは、蘇畑(そばた)佳純だった
佳純を演じる三浦透子は、「ドライブ・マイ・カー」で運転手のみさき役だったけれど、つい佳純とみさきのキャラクターを比較しながら鑑賞してしまった
キャラクター描写の程度が、作品で異なるから、単純な比較は難しいけれど、(世間との折り合いをつけようと苦労している)佳純の方が若者(人間)らしく、(世間と距離を置いている)みさきの方がクールで自立している風に見える
言い換えれば、ありのままの自身を世間から理解されることを諦めかけている佳純と、理解されることなど最初から求めていないみさき
そして思ったことをハッキリ口にする真純と過ごすことによって、佳純は「理解されたい」という思いを、取り戻していく
LGBTQ+、アセクシャル(他社に対して性的欲求や恋愛感情を抱かない)などについて考えさせられる作品だったけれど、後ろの席から、「あらっ」とか「えーっ」とか、心の中の発言を実際に発声してしまう(恐らく年配と思われる)男女数名の声が聞こえてきて、「今日はツイてないなあ」と思った
しかし、途中から、こうした(ある意味、今の一般社会の一面を代表している)リアクションの中で、本作を観られるのも「劇場ならでは」と考え直し、BGM的に楽しみながら観られた(そして案外、幅広い層にメッセージを伝えられる作品だと思った)
と同時に、この作品を観て「もしも数十年後に生まれていたら、自分は結婚しなかったかも、、」と思うお母さんが居たら、世の中は少しづつ良くなっているのだろうな、とも感じた