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2008年の作品
東京の楽団でチェロ奏者としての職を得た大悟(本木雅弘)は、楽団が解散してしまい、妻の美香(広末涼子)と故郷の山形に帰ってくる
再就職先を探している時に、好条件の求人を見つけにNKエージェントという会社に面接に行くと、社長の佐々木(山崎努)に即採用されるも、その仕事とは遺体を棺に収めるものだった(社名のNKエージェント、NKとは納棺の意味だった)
この作品を観て感心したのが、絶妙なキャスティング
都会的でスタイリッシュ、その反面まだ世間知らずでキャパシティの狭い若い夫婦役を、本木雅弘と広末涼子が演じ、ちょっとクセのある社長役を山崎勉、また脇を固める吉行和子や、笹野高史など、「この役はこの俳優のためにある」と思えるような配役がピタリと決まっている
2016年に「永い言い訳」(こちらの方がより深みを感じられて好きだけど、本作での彼の演技があればこその「永い言い訳」だとも思う)で同じような役どころを見事に演じている本木雅弘にとってはまさにハマリ役
顔立ちがきれい過ぎると思慮深さに欠ける?的なありがちな先入観(とはいえ映画においてはこうした最大公約数的な印象を活用しない手はないし)をすすんで引き受けている印象
また夫に対して「汚らわしい」と叫んでしまう妻を演じる広末涼子にも同様な印象
この役に彼女より適任な女優はなかなか思い当たらない
そしてこの台詞は、亡くなった人を見送ることについて考えさせられると同時に、見送ることを「職業」としてとう捉えるのか(また世間的にどう見られているか、についてどう対処するか)について考える上でのキーワード的な存在で、本作の台詞の中で最も心に刺さるもの
「職業に貴賎なし」
とはよく言うけれど、もし自分や家族の仕事だったらどう思う?とか、求人需要と報酬と社会的評判はどうなのか?などなど、職業について考えるとキリがない
「汚らわしい」という台詞の話に戻ると、俳優としての技量とは別に、その時のその人でしか演じられない役というものが存在するのだろうなと感じた
例えば2008年ではなく、今の広末涼子がこの台詞を言ってしまうとニュアンス(妻のキャラクターだけではなくストーリーの印象)も大幅に変わってしまっただろう
それを見極めるのがキャスティングだとすると、いろいろな俳優のキャラクターはもちろん、作品や役どころも理解していないと出来ない(当然ながら予算とスケジュールの制約の中で)
上手なキャスティングをすることで俳優が評価され、次の仕事に繋がる可能性もあるのだから、難しいながらもやりがい、そして夢のある仕事だと思う