引用元:Yahoo!映画
ヒューマントラストシネマ渋谷にて鑑賞
アメリカのマサチューセッツは、州別の平均年収ランキングでも常にトップクラス
2020年データでも全米3位の774万円で、51位ミシシッピー州の倍近くある
ところが本作に登場するマサチューセッツ郊外に住む15歳の少女ビリー(ラナ・ロックウェル)と11歳の弟ニコ(ニコ・ロックウェル)はギリギリの生活でほとんど学校にも行っていない
父親のアダム(ウィル・パットン)は着ぐるみを着ているだけのバイトで稼ぎも少なく、普段は穏やかな性格ながらも酒が入ると泥酔するまで飲んで手が付けられなくなってしまう
そのせいか母親は別の男性と暮らしていた
ビリーとニコは、車の整備工場の近辺に停められた車のタイヤに釘を刺すというアルバイト(?)で生活費を稼いでいた(パンク修理の仕事が入る整備工場からお駄賃が貰える)
普段は切り詰めた生活を送っている三人も、クリスマスはそれなりに楽しもうとささやかなプレゼント交換をして楽しんでいた
ところが例によって泥酔したアダムが、ビリーの自慢のカーリーヘアを「いつから髪を切ってないんだ?俺が切ってやる」と無理矢理ハサミでカットしてしまう
その後アダムはアルコール依存症と判断され強制入院、ふたりは彼氏と暮らす母親の元に向かう
前半は「せっかく劇場まで来たのに気まずいDVの映画か?」と心配したけれど、次第にインパクトのあるシーンにも必要性があることが理解できる
嘘っぽいハッピーエンドにはならないけれど、微かな救いに人や家族がどうあるべきか考えるようにこっそりと導かれるよう
この「こっそり」な感じは同監督の「ピート・スモールズは死んだ」でも感じられるけれど(実の子供たちを起用している)本作の方が少し直接的だろう
特に「親としてどうあるべきか」については強いメッセージを感じる(本を何冊読むよりも本作の反面教師に学ぶ方が有効かもしれない)
エンドロールで同名タイトルのヴァン・モリソンの曲が流れる
映画の最後にヴァン・モリソンも持ってくるのは「ザ・ロイヤル・テネンバウムス」を思い出させる
劇場に行く予定の方は、エンドロールの後に監督のインタビュー(Q&A形式)があるのでお見逃しなく!
今までで一番納得できる映画監督による「モノクロで撮る意味」について聞けたし、印象的なシーンの説明も同意と共に作品の理解が深まるものだったし、何より監督のサービス精神に大満足
会場に居た30人くらいの観客は最後までひとりとして席を立たず物音もたてなかった(ハリウッド映画ではこうはいかないだろう)
新宿シネマカリテでは「イン・ザ・スープ」(1992年)も上映されるから、ちょっとしたアレクサンダー・ロックウェル監督ブームが起こりそうではあるけれど「ちょっとした」という程度をあまり大きく越えないで欲しい気もする