引用元:amazon.co.jp
1999年の「上申書殺人事件」をベースにした2013年公開作品
東京拘置所に服役している死刑囚須藤(ピエール瀧)から、雑誌社に一通の手紙が届く
上司に命じられ、記者の藤井(山田孝之)が面会に行くと、警察も知らない余罪(しかも三件もの殺人事件)、そして「先生」と呼ばれるその首謀者木村(リリー・フランキー)の存在を聞かされる
そして須藤は藤井にこう告げる
「今この瞬間も、のうのうと娑婆で幸せに暮らしている先生を追い詰めたいから、この話を記事にしてほしい」
話のあまりの重大さに藤井は疑問を持ちつつも、時間も家庭(痴呆症の母の介護も妻の洋子に任せきりで、追い詰められた妻は姑に手をあげてしまう)も忘れ、取材に没頭する
そして、須藤の証言通りに証拠が次々と確認されていく、、
印象深かったのは、最終的に藤井の取材した内容が記事として掲載された時に、妻の洋子(池脇千鶴)が言ったセリフ
「楽しかったんでしょ? こんな狂った事件追いかけて、、、
読んだ私も楽しかった
世の中にはこんなに怖い事件があるんだなって、怖いもの見たさで読んだ」
一瞬、姑の介護を押し付けられてきた当てつけに放った嫌味の言葉かと思ったけれど決してそうではない
また取材者の傍にいた身内としての言葉でもなく(誰しもにあてはまる)ひとりの人間としての台詞にハッとさせられた
ここまで惹きつけられる作品にはなかなか出会えない(個人的な感覚では20本にひとつくらいだろうか)
リリー・フランキーは本作(2013年9月公開)と同月に公開された「そして父になる」にも出演している
両作品を劇場で観て(改めて味のある俳優だなあと感心しつつ)似合うのは圧倒的に本作の様な「悪者」だと思った
茨城の不動産屋の事務所のソファーに、カーディガンを着たリリー・フランキーと、派手な柄物のニットを着たピエール瀧が並んで座っている絵にはリアリティあり過ぎる
海外向けだったり、暴力性を前面に押し出したいのなら、北野作品の方が分かりやすいけれど、日本人がストーリーの中でリアリティを感じるのは断然こちらだろう
「デッドマン・ウォーキング 」にも書いたけれど、死刑制度の是非は、間接的な影響も考慮しなければいけない難しさがある
例えば、本作のベースとなった「上申書殺人事件」は、死刑判決を受けて上訴中だった被告人が、先生と慕っていた不動産ブローカーの男を告発した(本作で忠実に再現)けれど、もし日本に死刑制度がなかったら被告人は先生を告発していただろうか?
間接的な影響を考え始めると(どこまで含めていいのか)終わりがなくなるけれど、一切無視するわけにもいかない