引用元:Yahoo!映画
原題は「Just Cause」
厳密に訳せば、「(正当な)理由」
カッコの中を除いてしまうと、大事なニュアンスまで失われてしまうから、邦題を決める際に諦めて欲しくなかったと思う
犯行の動機に大きく関わるポイントだけに、鑑賞後には尚更そう感じた(邦題を考える人は、果たして実際に観ているのだろうか?)
1995年のアメリカ映画
自分の中で1995年というと
「そんな昔じゃないな」
と普通に思ってしまうけれど、もう30年前のこと(ちなみに映画で言えば「マディソン郡の橋」や「ユージュアル・サスペクツ」が公開された)
こういう感覚は事務的に調整していかないと、、、と思いながら、ふと「何故そんなことを考えている?」と
その理由は、この作品の雰囲気が、どうにも「1995年よりも古臭い」感じがするから
ショーン・コネリー扮する死刑制度に反対する元弁護士が、無実を訴える死刑判決を受けた黒人青年のために再び法廷に立つ、というストーリーは、既に似たような作品が複数存在したし、南部の保守的な価値観が捜査を邪魔する設定には「ミシシッピー・バーニング」感が溢れる
途中で観るのを止めようかと一瞬思ってしまったけれど、後半は一気に面白くなる
その理由というか原因は、前半に微かに匂わせているけれど「ああ、コレは後で回収されるんだろうな」と判ってしまうものではないところが新鮮
元々ストーリーの展開を読むのが不得手だし、こういう先回りは、なるべくしないようにしている
勿論、見え見えの展開でもワクワクしたいとまでは思っていないけれど、余りに目が肥えてしまうのも不幸な気がする(鈍い自分を正当化しているだけ?)
当時11歳のスカーレット・ヨハンソンが娘役を演じている
明日は、大好きなビル・マーレイ主演作をご紹介