引用元:amazon.co.jp
1996年のイギリス・アメリカ映画
約20年振りの鑑賞
炭鉱の町を舞台にした映画は星の数ほどあれど、本場(笑)イギリスの中でも、真っ先に挙げられる作品
どん詰まりの生活と、家庭内の不和、政府や経営陣への不信、そして見えない将来、、
と、炭鉱モノに必要な要素が全部詰まっている
サッチャーが現れなければズブズブと沈むしかなかった国が、何とか産業構造のシフトによって持ちこたえたにもかかわらず、映画はいつでも無条件に弱者の味方だ
ヨークシャー地方の炭鉱町グリムリー
地域最大の規模を誇るこの街の炭鉱も、例に漏れず近いうちに閉鎖されるだろう、という噂が駆け巡っていた
そんな街に仕事でやってきたグロリア(タラ・フィッツジェラルド)は、持参したフリューゲルを宿の女将に見つけられ「楽器の練習をするなら炭鉱夫たちの楽団の練習場所で」と言われる
グロリアは言われるがままに、この街の歴史ある楽団「ゲレムリー・コリアリー・バンド」の練習場に赴く
炭鉱夫たちは、閉鎖騒ぎで練習にも身が入らず、指揮者のダニー(ピート・ポスルスウェイト)に厳しく指導されていたところにグロリアが現れる
ダニーから「悪いがよそ者は楽団に入ることはできない」と言われると、グロリアはこの街の出身であることを伝え、祖父がダニーと楽団で共に過ごしていたことがわかると、男たちに温かく迎え入れられる(実にイギリス的)
久しぶりに観直して、(以前は無策に思えていた炭鉱夫たちに)生活を立て直す術が提示されていなかった(だろう)ことに驚いた
退職金を得たにしても余生を過ごせる額でもなく、他に働き口の無い街でどうやって生活しろというのか
サッチャー政権がどれほどの支援をしていたのか知らずにコメントするのは限界があるけれど、前回鑑賞した時に抱いた炭鉱夫たちへの印象は大きく変わった
やはりサッチャーの評価は、俯瞰した場合と、個別の事象で見た場合では大きく異なってしまう(その差を埋める施策が無かったことが致命的だったのか)と思わせる
明日は、三浦しおん原作の映画をご紹介