引用元:Yahoo!映画
2013年のアメリカ映画
今や日本のメジャー・リーグ ファンも年に一度、選手がみな背番号42をつける日があることを知っているだろう
メジャー全30球団に加えて、マイナーや独立リーグでも永久欠番になっている背番号42
本日4月15日はジャッキー・ロビンソン・デー
彼がデビューした1947年4月15日(この年のシーズンの開幕日だった)にちなんでいる
幸運にも今まで二回、この日にスタジアムで観戦したことがある
42番をあしらったグッズなどが売り出され、盛り上がるのは結構なのだけれど、正直なところ観戦するには不便だ(何しろ場内アナウンスと体形で選手を識別するしかない)
初のアフリカ系アメリカ人選手としてブルックリン・ドジャースで活躍した、ジャッキー・ロビンソンが付けた番号
↓ 2018年にドジャースタジアムで観戦した際に撮った写真
1945年、ドジャーズのオーナー、ブランチ・リッキー(ハリソン・フォード)は、二グロ・リーグで活躍していたジャッキー(チャドウィック・ボーズマン)と契約する
抜群のパフォーマンスを見せるものの、敵チームはもちろん、チームメイトやファンでさえ彼の扱いに困り、敵対心をあらわにする者もでてくる
リッキーは、何度も屈辱的な扱い、時には身の危険を感じながらも活躍し続け、1947年4月15日、ついにメジャー・デビューを果たす
そして、50年後の1997年に、背番号42は全球団の永久欠番となる
(この時点で42番をつけていたマリアノ・リベラなどは、そのまま使用することが許され、リベラが引退した2013年に42番をつける選手はいなくなった)
70年前の感動的な出来事として鑑賞することは可能だけれど、70年経っても根絶どころかまだまだ問題が残っていることは、驚きでもあり悲しすぎる事実でもある