引用元:filmarks.com
1960年のフランス・イタリア映画
大学生になって、自分が好きな時間に好きな映画を(ビデオで)観られるようになる前、テレビで何度か観た作品
海から死体があがってくるエンディングが強烈に印象に残っている
洋画の原体験的な作品でもあるというのに、作品を最初から最後まで鑑賞した記憶が薄く、いつも途中からだったり、途中までだったり
ということで、おさらいも兼ねて久し振りに鑑賞
裕福なアメリカ人の青年フィリップ(モーリス・ロネ)は、親からの仕送りで欧州で遊んで暮らしていた
いつまでも帰らない息子を心配したフィリップの父親は、息子の友人トム・リプリー(アラン・ドロン)に、息子をアメリカに連れて帰って来るよう、5000ドルの報酬で頼む
貧しい環境で育ったトムは、何の不安も無く欧州で豪遊し、マルジュ(マリー・ラフォレ)という美しい彼女と過ごしているフィリップに、羨望と嫉妬を感じていた
そんなトムをフィリップは見下し、ふざけた調子で酷い扱いをすることもあるばかりか、マルジュに対しても自分勝手な振る舞いで険悪な雰囲気になることも
そんなマルジュの機嫌をとりなそうと、フィリップはマルジュと名付けた自分のヨットでタオルミーナ(映画「グランブルー」でも有名なシチリアの観光地)にマルジュ、そしてトムを連れて向かう
巻物みたいなリラ紙幣や、パスポート偽造などの犯罪トリックには、さすがに65年という時の長さを感じさせる
またフィリップとトムが、欧州に来たばかりのアメリカ人の割に、流暢なフランス語を話すことや、ストーリーの精巧さなどにも粗い部分はあるけれど、圧倒的に美しいアラン・ドロンの刹那的な危うさ、美しいイタリアの港町、そして有名なニーノ・ロータのテーマ曲などが補って余りある
本作以上のサスペンス映画が果たしてあるだろうか?
原題の「PLEIN SOLEIL」は「(太陽が照らす)青空のもとで」とか「真昼間に」という意味から「お天道様は(悪いことしてるのを)全部見ているよ」というニュアンスを暗示しているらしく、「太陽がいっぱい」という邦題では、その辺のニュアンスが損なわれているけれど、これ以上の邦題も無いだろう
アラン・ドロンとモーリス・ロネのライバル関係がスリリングな続編的な作品「太陽が知っている」も併せて鑑賞したい
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