池袋にある新文芸坐(初めて行った)まで、ururundoさんに教えてもらった「眩暈」を観に行く
当日のみの上映ということで、チケットは完売
2019年に96歳で他界したアメリカの詩人であり、映画監督
リトアニアの出身で、ナチスに捕らえられ強制収容キャンプに収容された(後に脱出し、数年後に難民船でニューヨークに渡る)
そんなメカスを師と仰ぎ、また友として50年以上の交流があった日本の詩人・吉増剛造が、亡くなって1年後の2020年1月に、ニューヨークに向かうドキュメンタリー映画
メカスの自宅を訪ね、息子のセバスチャンに再会し、亡くなる前は特に苦しむことも無く弱っていったと聞き、安堵する
吉増剛造は、詩人と聞いてイメージするタイプの人ではなく、即興的であり、パフォーマーであり、偶発性を大切にしているように見える
映画の内容は、一度観れば納得(理解)というものではなかったので、ふたりの話が聞けたのは、とても有難かった
印象的だったのは、(実際には、監督の井上春生が吉増剛造に質問していたけれど、その部分はカットして)吉増剛造の問わず語りのように編集したことについて、いとうせいこうが
「こういう編集にすると、発言のすべてを吉増さんが背負わなくてはならなくなりますよね」
と聞き、吉増剛造がその真意を説明した後、逆に「テレビではどうするの?」と聞かれると
「視聴者が気軽に観られるように、誰の責任にもならない作り方が求められる」と答えていたところ
そして朗読では、吉増剛造が立ち上がり、大きな声で叫ぶ一方で、座ったままのいとうせいこうが、時に遅れて、時に同時に、吉増剛造と同じ言葉を、抑制を効かせて合いの手を入れていくスタイル
詩が断然、立体的に感じられる、新鮮な体験だった
ああ、やっぱりニューヨークに行きたいなあ
明日は、いかにもアメリカ映画な、1983年のあの作品を紹介します