引用元:amazon.co.jp
1987年のアメリカ映画
エルヴィス・コステロのヒット曲と同じタイトルからして、イギリスの音楽好きの若者を描いた作品だと勘違いしていた
実際にはロサンゼルスに住む上流階級の若者のストーリー
一緒に高校を卒業したクレイと恋人のブレア、そして親友のジュリアン
クレイは東部の大学に、ブレアも進学するつもりがモデルの仕事を始めてしまい、そしてジュリアンは父親のコネで音楽プロデューサーの仕事を始める
クレイは、ロスを離れてからブレアをジュリアンに奪われてしまい、半年後のクリスマス休暇に複雑な気持ちで帰ってくる
するとジュリアンはコカインにはまり父親からも勘当され、売人のリップから多額の借金までしていた
ジュリアンを演じたロバート・ダウニーJr. は、私生活でもドラッグ問題を抱えていて8歳の頃から(!)ドラッグを使用、これまで6回の逮捕歴がある(しかし俳優業はその後もずっと年一作品以上に出演している)
時代のスナップショットとしての存在理由が大きく、真っ当な評価を2021年にするのは難しい作品という印象
粉末コカインが供給過多により価格が暴落したため(売り手としては)法を犯してまで扱う意味がなくなり、手ごろなクラック・コカイン(煙草で吸引できる)が普及し始める
そのブームも1990年を前にして(あくまでクラックとの比較では)身体への悪影響の少ないマリファナに移行したことや、処罰の厳格化、そして経済が安定してきたことなどから収束していく(そしてアメリカ経済は90年代を謳歌していくことになる)
不思議に思うのは「ドラッグの普及」と「不況」がシンクロするのは(厳しい現実から逃げ出そうとするという意味で)理解できるけれど、どうしてそこにジュリアンのような富裕層も含まれるのか?
個人の経済状況よりも「どれくらいい身近で入手できるか(どれくらい身近にディーラーが存在するのか)」という物理的な理由によるのかもしれない
そして「厳しい現実からの逃避」とはいっても「厳しい現実=貧困」とは限らないということか?