引用元:amazon.co.jp
ヴィンセント・ギャロが監督、脚本、主演、音楽を手掛けた1998年のアメリカ映画
この作品を観る数年前、車を運転してニュージャージーからバッファローを通ってカナダに抜けたことがある
ニュージャージーからニューヨーク郊外に入り、開放的な田園風景の中をドライブすること数時間(6-7時間?)、バッファローに近づくにつれて殺風景になっていき、天気もどんより曇って閉塞感を感じた
本作の冒頭の陰鬱なシーンとその記憶が重なって、(まだ何もストーリーは動き出していないというのに)激しく共感してしまった
主人公のビリー(ヴィンセント・ギャロ)が刑務所を出て、両親の住むバッファローに向かうところからこの作品は始まる
ビリーは屈折した性格で、勉強も仕事もうまくいったことがなく、まともな友達もいない、それに加えて両親の愛情が極めて薄く、母親の口癖は「ビリーを出産したお陰で大事なアメフトの試合を観逃してしまった」
そこにネタとして笑いが含まれているなら救いがあるけれど、この一家の場合は真剣に息子への愛が薄い
実家に戻る前に両親に電話をかけ「今まで政府の仕事で何年も帰ることができなかった」と、嘘までついて両親の関心を求め続けるビリーは(実際には彼女さえ居ないというのに)、その場の勢いで「フィアンセを連れて帰る」と言ってしまう
それにしても希望の見えない、唯々寒い街として描かれるバッファロー
ヴィンセント・ギャロの故郷で、実際のキャラクター設定も、両親などは現実に近い(!)という
映像のテイストや音楽、ファッションで語られることの多い本作が、実は自伝的な渾身の一本だということは、本作がいつまでも廃れない理由なのかもしれない