引用元:amazon.co.jp
渋谷ヒカリエで開催中の「ソール・ライターの原点」に行ってきた
彼の写真からは、モデルや有名人ではない普通の人たち、ホテルのドアマンや、雪の中を歩いている男性や、信号待ちをしている母娘など、街に暮らす人たちの「暮らしぶり」が浮かび上がってくる
特別な日を楽しく過ごしているのか、待ち人が現れずに少しイライラしているのか、などと勝手に想像しながら写真を眺めていると、ポール・オースターの小説を読んだ様な、或いはヴィム・ヴェンダースの映画を観たような感覚にもなる
1935年のテキサス州の田舎町で、シングルマザーが逞しく生きていくストーリー
ニューヨークが舞台ではないけれど、ポール・オースター、或いはソール・ライター的な、人生の機微のようなものを感じさせる作品
テキサス州にある、ワクサハチーという町に住む、エドナ(サリー・フィールド)
保安官の夫ロイスと幼い二人の子供の四人で、平凡ながら幸せな毎日を過ごしていた
ある日の朝、家族で食事をしていると、部下のジャックがロイスを呼びにやって来る
どうやら銃を持った男が、駅で泥酔し発砲したということだった
ふたりで駅に駆けつけると、それはワイリーという良く知っている黒人の男だったので宥めながら近づいたところ、もう銃弾が無くなったと勘違いしたワイリーがふざけて(酔って)発砲した弾で、ロイスは亡くなってしまう
エドナは激しいショックを受けるも、幼い子供を抱え、それまで家事以外のことは何もやってこなかった彼女には悲しみに暮れている余裕も無かった
ようやく葬儀をすませると、デンビーと名乗る銀行員がやってきて「家のローンが$3,681残っていること、そして現在の預金残高が$160であること」を告げる
さらに「家を売却し、子どもたちを親戚に預け、エドナは姉のところに世話になると良い」とまで言う
1932年にワクサハチーで生まれた、ロバート・ベントンが、脚本・監督を務めた作品
アカデミー賞では、彼が脚本賞、サリー・フィールドが主演女優賞を獲得している
作品賞も本作で不思議はなかったと思う(ちなみに同年作品賞に輝いたのは「アマデウス」)
エドナたちが徹夜で綿を摘むシーンでは、指先に棘がひっかかり血だらけになりながら作業していて(手袋を差し入れしたいなとか、綿に血が付かないかなと)心配になってしまった
ブルースなどのブラック・ミュージックが生まれたことなどから、アメリカ南部ではこの作業に奴隷が使われていた印象が強いけれど、現在ではほとんど機械化されている
一方、中央アジアでは、まだ手作業でこの作業が広く行われ、ウズベキスタンなどでは多くの児童が強制動員され、問題になっているという
本作の作業シーンを観ても、その膨大な作業量と過酷さに「せめて服を大事に着なきゃ」と思う
明日は、国鉄の歴史に触れることができる作品を紹介します