無人島シネマ

忘れてしまうには惜しい映画 および雑記

123. 太陽のめざめ

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引用元:amazon.co.jp

 

2015年のフランス映画

 

カトリーヌ・ドヌーブ家庭裁判所の判事を演じている

 

 

劣悪な家庭環境(父親の不在に加え、怠惰で感情的な母親)で育ち、幼いころから非行を繰り返すマロニー(ロッド・パラド)は、6歳の時に判事の目の前で母親から置き去りにされてしまう

 

更生施設でも短気なマロニーは、すぐに癇癪で問題をおこしてしまうが、家庭裁判所の判事フローランス(カトリーヌ・ドヌーブ)は、マロニーと同じ様な境遇にありながら更正し教育係となったヤン(ブノワ・マジメル)と一緒に、マロニーをサポートする

 

 

 

フランスに限らず、マロニーのように幼いころから手が付けられない子供はどの国にもいるだろうけれど、周囲の大人が更生させようとする姿勢が如何にもフランス流

 

いくら自分勝手でも、いくら更生が見込めなくても、いくら稚拙な考えでも、一個人の主張はそれなりに対応されなければならないという強い信念を感じる

 

そこに費やす半端ない時間と労力を、必要なものとして受け入れていることに心底感心する

 

一方で、日本人的な感覚からすると、マロニーはそうした大人たちの対応に甘えているし、疑問を感じる更生プログラムではある

 

個人の権利を出来る限り守ろうとしているし、更生するまでに新しい犯罪を犯してしまう(新たな被害者を生んでしまう)可能性を(優先順位の結果として)受け入れるには覚悟も必要だろうし、こういう部分の姿勢に対してプライドを強く持っている国だと思う

 
そういう国に生まれたかったか?と聞かれると困るけれど
 
 
 
 
最近読んだ「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて」という本で
 
 
日本はこの数十年間で、街もキレイになり、制度も整えられ、人権などに関する考え方も(まだまだ問題はあるにしても)随分進歩したけれど、果たしてそれで幸せになったのか?
 
 
というようなテーマについて考えさせられた
 
単純に(昔と今と)どっちが良かったという話ではなく、「何を得て何を失ったのか?」また「今後どうあるべきなのか?」を考える良いきっかけになった
 
子どもの更生と社会の秩序を同列に語っていいものかは疑問だけれど、日本とフランスでは頑張る方向性が異なる(日本は出来るだけ川上で防ごうとし、フランスは敢えて川下まで待つようなイメージ?)せいで、大人たちの寛容性という面では見習う面が多い気がする