引用元:amazon.co.jp
1938年の清水宏監督作品
盲人の彼らは、冬場は南方の宿で、そして夏場になるとこの山間にある温泉街にやって来ては、複数の宿の宿泊客からマッサージの注文に応えていた
そんな徳市に、ひとりで宿泊している東京から来た女性客(高峰三枝子)から注文が入る
匂いや音、気配で状況を把握する徳市は、その客が(福市と歩いてこの温泉街に向かっている時に)自分たちを追い越していった女性だと気づく
どことなく憂いのあるこの女性に徳市は惹かれるも、女はなかなか自身についての話はしてくれず
1938年ということもあって、盲人についての表現も今とは随分違う
子どもは面白がって顔にモノを近づけて驚かせようとするし、大人も(通り過ぎる徳市たちに)カエルの鳴きマネをして揶揄ったり
徳市たちも、温泉街に向かう道中「今日は(目明きたちを)〇〇人も追い抜いてやった」と自慢したり、人にぶつかっておいて「盲人がぶつかるのは当たり前だろう」と喧嘩をふっかけたり
しかし「昔だから許されたNGな表現」とは思えない、おおらかさを感じる
それは障害に関する表現だけではなく、女の過去だったり、宿で起こる盗難の落とし前だったり、多少都合が悪くても大騒ぎしない緩さとも言える
徳市と同じように女に惹かれる、これまた謎の東京から来た宿泊客(少年を連れた男)も「そろそろ帰らなきゃ、でももう一泊しようか」を繰り返し、温泉街に退屈してスグにでも帰りたい少年もそれに対して「ちぇっ」と言うだけ
そして盗難事件の犯人も、男が温泉宿に来た理由も、大事なことの殆どはわからないまま(伏線回収、何それ?という感じ)
ヴィム・ヴェンダースたちが影響された、古い邦画のこうした「やりっ放し」感が心地良い作品
憂いのある謎の女、高峰三枝子は当時何と19歳!
明日は、隠された別の顔を持った男性が登場するフランス映画をご紹介