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監督は「マイ・バック・ページ」、「オーバー・フェンス」の山下敦弘
時代は1986年
地元九州から上京して専門学校に通い始めた日下部(高良健吾)は、手早く生活費を稼ぐため、日雇いの肉体労働を始める
その初日、現場に向かうすし詰めのバスの中で、同世代らしき青年を見つけ声を掛けたのが、貫多(森山未來)だった
同じ学年と知り、すぐに仲良くなる二人
しかし人並みに恵まれた環境で育った日下部に対して、貫多は小5の時に、父親が性犯罪で逮捕され一家離散、中学を卒業してからは家を離れ、安アパートを転々(家賃滞納で強制退去)としながら日雇い労働を続けていた
将来的な希望も無く、稼いだ金はすぐに酒と風俗に使い、唯一の趣味である読書の為、古本屋に通う毎日だった
その店のバイト、康子(前田敦子)に憧れ、店に行っては彼女を眺めたり、時々話しかけるだけで精一杯だった貫多だったが、ある日、日下部にお願いして「コイツと友達になってあげてよ」と頼んでもらい、意外にもOKの返事を得て喜ぶ
と、ここまでの展開は、「貫多にもそれなりに楽しい毎日が訪れるのでは?」と想像させるけれど、彼はそれをみすみすダメにしてしまう
その原因を「一家離散を言い訳にして」というのは余りにも残酷ではあるけれど、何度もチャンスを与えては裏切られる日下部が最後に放つ「いつまでも甘えてんじゃねえよ」という台詞に、ハッとさせられた
爽やかな森山未來が演じているせいか、或いは生い立ちの部分が描かれていない(台詞の中でサラッと触れられるだけ)せいか、貫多が甘え続けてしまった理由が映画からは見えてこないところが唯一残念でであるけれど、ストーリーの中心にずっと居る貫多を観ていると、「褒められたかった」とか「優しくして欲しかった」というよりも、「そんな生き方じゃダメだ」と叱られたかったのだと思った
それだけに先述の日下部の言葉は、貫多にとって大事なものだったのだろうなあ
前田敦子の演技は、上手下手というよりも素の自分で台詞を喋っている様に思わせる
普段目にしそうな女性ではあるし、そうした役柄の需要はそれなりにあるから、毎回同じようなキャラクターを演じているけれど、イメージとかけ離れた役柄もこなせることが必須というわけでもないし、将来が楽しみな俳優のひとり
話を貫多に戻すと「周囲が拒絶反応を起こすくらいの自己陶酔だなあ」と感じていた時に、エンドロールのバックにドレスコーズの曲が流れてきて笑ってしまった
明日は、架空の国名がタイトルになった映画をご紹介