引用元:filmarks.com
野坂昭如の戦争体験をベースにした小説が原作
時は太平洋戦争の末期
兵庫県の御影町に住む14歳の清太(吉武怜朗)と4歳の妹・節子(畠山彩奈)は、神戸を襲った大空襲で、母の雪子(松田聖子)も家も失ってしまう
以前から母に「何かあったら西宮の叔母さんを頼るように」と言われていた通り、清太は節子と荷物を荷台に乗せて西宮まで行く
未亡人の叔母さん(松坂慶子)は、欲深い人で、訪ねてきた清太と節子を追い返そうとするも、ふたりが食料をもっているのを見つけると、途端に態度を変え、家に招き入れ住まわせることにする
清太と節子は、この叔母さんに酷い仕打ちを受けながらも、何とか一緒に暮らしていたが、母から預かった(着物などが入った)荷物を隠し持っているのではないか、という疑念は晴れず、ある日ついに口論となり、家を飛び出してしまう
節子がよく「ドロップ欲しい」と言い、空になったドロップの缶を大事に持っているのが印象的だった
アニメ版「火垂るの墓」ではサクマ式ドロップスが小道具として使われ、2008年には本作の公開と、サクマ式ドロップス100周年を記念して、戦時中のデザインを再現した復刻版が発売されたという
いろんなことが変化していく世の中で、100年続くお菓子があるというのは何とも素晴らしいと思う
残念ながらコロナ過での原材料費の高騰により佐久間製菓は廃業(赤い缶ではなく緑の缶のサクマドロップスを製造販売しているサクマ製菓は営業を続けている)
戦争映画に限ったことではなく、「食べていく為に屈辱に耐えられるか」という話はよくあるけれど、それを邪魔するのは大抵の場合、意地や尊厳
これが無ければ、人は獣の様になってしまうけれど、それを一時的に封印できるか否かは、命や家族の存亡にもかかわる
目的の為には「どんなに屈辱的な状況にも耐えられる」という人もいれば、「その屈辱を受け入れるくらいなら死ぬ」という人も
程度こそ(大幅に)違えど、普段の生活にも当てはまるかもしれない
明日は、ヨハネスブルクが舞台の映画をご紹介