無人島シネマ

毎朝7時頃更新 忘れてしまうには惜しい映画 と雑記

596. 火宅の人

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引用元:Yahoo.co.jp

 

素晴らしい結果に終わったWBC

 

アメリカを相手に決勝で、しかも互いにベストを尽くした充実の内容で勝ったのは、これ以上なく嬉しい

 

こんな日に限って仕事が忙しく、通勤の電車の中と、最終回のアメリカの攻撃くらいしかリアルタイムでは観られなかったけれど、深夜にしっかりと堪能

 

準決勝のメキシコ戦と共に、一生忘れられない試合になるだろう

 

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1986年の作品

 

 

ずっと「火宅って何だろう?」と思いながらも、鑑賞には至らなかった作品

 

 

今回、深作欣二の作品でと思い本作を選択

 

火宅とは「燃え盛る家のように危うさと苦悩に包まれつつも、少しも気づかずに遊びにのめりこんでいる状態」を指すという

 

本人は否定しているものの、原作者檀一雄私小説と言われている(ちなみに娘の檀ふみが主人公の母親役で特別出演している)

 

 

 

 

 

作家の桂一雄(緒形拳)は妻ヨリ子(いしだあゆみ)と先妻との子を含め5人の子供たちと暮らしていた

 

ある日、息子の次郎が日本脳炎になり手足が麻痺し喋られなくなってしまう

 

この突然の不幸にもかかわらず一雄は助手であり新劇の女優を目指している恵子(原田美枝子)とつきあい始め、ヨリ子は怪し気な新興宗教にハマってしまう

 

そんな状況から逃げ出すように一雄は家を出て恵子と同棲を始め、恵子は妊娠してしまう

 

 

 

 

困った時、大事な時に逃げ出してしまう駄目な男と、駄目な男とわかっていながら惹かれてしまう女、どこまで甘えが許されるか試しているかの様な自堕落な生活

 

耐え忍ぶ妻や子を観て何を想うのか、美しい妻と愛人の間を好き勝手に行き来する男をどう感じるのか

 

道徳観とのギャップを味わう(?)のか、或いは登場人物に自己を投影するのか、どうして世の中はこの娯楽作品を必要とするのだろう

 

本作はそれを考えるのに相応しい(?)無常観があるけれど、一般的な他の多くの作品にも程度の差こそあれ共通するものがあると考えると「そもそも何故ひとは映画を観る(作る)のか」という疑問にも繋がる気がする

 

 

 

明日は、最後の数分間、釘付けになってしまう邦画をご紹介