無人島シネマ

毎朝7時頃更新 忘れてしまうには惜しい映画 と雑記

508. 洲崎パラダイス 赤信号

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引用元:amazon.co.jp

 

洲崎パラダイスとは、現在の江東区東陽一丁目にあった赤線地帯

 

江戸時代からあった根津遊郭が、明治21年に近くに東大ができるという理由で洲崎弁天町(当時は埋め立て地だった)に移転し、洲崎遊郭となったもの

 

その後、第二次大戦中に工場宿舎になり空襲で焼けてしまうものの、戦後「洲崎パラダイス」として1958年の売春防止法の施工まで約13年間復活する

 

 

 

 

本作は1956年の公開

 

パラダイスの中での撮影はないものの、個性的なアーケイドの手前で店を構え暮らす人たちや、そこに出入りする客たちの様子を描いている

 

今では当時の面影を残す建物も無くなり、歴史的な資料としての価値も高い作品

 

 

 

義治(三橋達也)と蔦江(新玉美千代)は、故郷を出て以来、定職も無くふらふらと東京中を彷徨っていた

 

いよいよお金もなくなり(所持金はわずか60円)勝鬨橋の上で口論になり、蔦江は勢いでバスに飛び乗り(義治もその後を追いかける)洲崎弁天町で降りる

 

要領のいい蔦江は、パラダイスの入り口すぐ手前にある「千草」という飲み屋(兼、貸しボート屋)に入り、女将に「働かせてくれ」と頼み込む

 

義治は女将に愛想もなくムスッとしている間に、蔦江は酒を出したり常連客との会話を盛り上げたりして早速店に馴染んでいく

 

 

性格の違いもあるのだろうけれど、状況を理解して素早く行動できる女性と、理屈や理想が邪魔をして結果を出せない男性

 

乱暴なジェンダー論(?)ではないけれど、昔からこういうシーンがたくさん映画に残っているという事実(女性の方が順応力に優れていること)が、あながち間違っていないことを物語っているのではなかろうか

 

そしてこのふたり、片方が上手くいっている時はもう一方がだらしなく、だらしない方が「俺(ワタシ)も頑張ろう」と追い付こうとするのではなく足を引っ張ってしまう、いわゆるマイナスな方向にしか向かわないという駄目っぷり

 

こういう事は理屈ではないし、時代が変わっても存在する男女の関係性、そして当人たちにしか(当人たちにも?)理解できない仕組み、或いは化学反応なのだろう

 

タイトルが示すようにいろんな行き詰まりを感じさせながらも、ふたりにとっては替えの効かない「連れ合い」

 

 

 

ちなみに場所としての洲崎パラダイスは、映画「骨までしゃぶる」にも登場するし、2011年の映画「マイ・バック・ページ」の中では本作の映像が登場する