引用元:amazon.co.jp
1972年のアメリカ映画
ちょうど半世紀前の作品になる
学生の時にレンタルビデオで観て以来、今回でおそらく5、6回目の鑑賞
ファミリーの相関図も頭に入っているから(ストーリーを追うのではなく)雰囲気に浸りながら鑑賞できるのは快適
物語はコルレオーネ・ファミリーの長女、コニーの結婚式のシーンから始まる
時は終戦直後の1945年
ニューヨークの5大ファミリー(イタリア系マフィア)の中でも最大勢力を誇るコルレオーネ家には、長のドン・コルレオーネことヴィトー(マーロン・ブランド)の下に、長男のソニー(ジェームズ・カーン)、次男のフレド(ジョン・カザール)、そして三男のマイケル(アル・パチーノ)の三人の息子と、養子のトム(ロバート・デュヴァル)がいた
短気な長男ソニー、頼りない次男のフレド、頭の良いトム、唯一マフィアの仕事にかかわらず堅気の生活を送っている物静かなマイケル、そして子供たちはもちろん、取り巻きの幹部の中で誰が優秀で誰がそうでないのかを冷静に見極めているボスのヴィトー
この結婚式のシーンだけでも、それぞれの人物像と、与えられている状況がよく理解できる
数日後、5大ファミリーの一角を占めるタッタリアの元に居る売人が、ヘロインの取引をヴィトーに提案してくる
政治家や裁判官などに強力なパイプを持つコルレオーネ家と組めば、より安全にビジネスを拡大できると踏み、口利きのみで高いマージンという「かなり美味しい」提案ながらも、ポリシーとして麻薬には手を出さないとヴィトーはその話を断ってしまう
好条件に惹かれたソニーや、今後の5大ファミリーの勢力図にも影響を与える転機だと判断したトムにとっては驚きの決断ながらも、ゴッドファーザーの声は絶対
しかし一家の不穏な空気を嗅ぎ取ったタッタリア側は、「ヴィトーさえ始末すればコルレオーネ家はこの話に乗ってくる」と判断
ヴィトーの護衛役を買収し、風邪を理由で休ませ、頼りないフレドが代理で護衛している隙に、タッタリアはヴィトーを襲撃する
撃たれたヴィトーは何とか一命をとりとめたものの、昏睡状態が続く中、勝気なソニーは報復を主張し、冷静なトムは様子をみようとする(もちろんフレドは怯えているだけ)中で、マイケルは自分もこの世界に入ることを決心し、相手との会談の席に自分が一家を代表して出ると主張する
観る度に別の人物にフォーカスしてしまう、多面的に楽しめる作品(シリーズ)
もちろん俳優として大好きなジョン・カザール(フレド)も気になるけれど、彼を観るなら単純に愚か者として描かれている本作よりも、彼なりの嫉妬や葛藤が観られる「PART Ⅱ」の方が面白い
(残念ながら今年の7月に亡くなってしまったこともあり)、本作の場合は長男のソニーに注目してしまう
周囲から跡継ぎと目され、本人もその気満々
年上の幹部たちにも対等、或いはそれ以上の態度で接するくらいだから、フレドのことなど眼中にもない(そのことがフレドの性格にも色濃く影響している)
しかし短気で喧嘩っ早く、思慮深さに欠けるところから父の信頼を受けるまでには至らず、怒りに任せた行動によって最期を迎えてしまう
もしも、彼に一瞬思い留まる自制心があったら無駄に命を落とすこともなかっただろうし、自然にヴィトーの跡を継いでいたはず
とはいえ、大局的に物事を見られる器でもなく(フレドが屈辱的な想いをするのとは違って)マイケルの下で働けるタイプでもないから、いづれにしてもソニーがフィットする場所はファミリーの中に存在しなかった、と考えると、最も悲しい存在に思えてくる
こうした人間関係の描き方だけでもよく出来た映画だと思う一方で、暴力的な描写(そういうシーンの有無は別にしても背景には存在する)はあるし、70年代の作品とはいえ人種的な発言や女性の描き方などにも問題は多い
そうした理由で本作を嫌う人が一定数存在するのは仕方ないけれど、「マフィア映画」の範疇で語られるのは勿体ないと思う