引用元:Yahoo!映画
2015年のアメリカ映画
スピルバーグが監督、コーエン兄弟(とマット・チャーマン)が脚本、主演にトム・ハンクスという鉄壁の布陣
1957年のブルックリン
画家を装ってソ連の諜報活動を行っていたアベル(マーク・ライランス)は、FBIから目をつけられていた
ある日、アベルが極秘情報を入手後、アパートで暗号を解読しているところをFBIの捜査チームに踏み込まれ逮捕される(極秘情報が書き込まれた小さな紙片は冷静に対応しながら何とか気づかれないまま処分に成功する)
アメリカに潜伏し、諜報活動を行っていたアベルに対して、アメリカ国民は激しい非難を浴びせる中、裁判における公平性は維持されるべきとの考えから、ドノヴァン弁護士(トム・ハンクス)が弁護士会から満場一致で推薦される
ドノヴァンは、敵国のスパイを弁護することで自分や家族に非難が集中することを懸念しつつも、弁護士としてのプロ意識でそれを受け入れ、アベルと対面する
市民の関心が高い事件について、メディアが被告を「悪者」扱いして煽るような裁判があるけれど、その場合に弁護士は(本作のドノヴァンの様に)「無罪を信じて弁護にあたっている」と勘違いされることも多いのだろう
もちろん弁護士も「渋々やってます」とか「無実とは思いませんが」と言うことはないだろうけれど、感情に流されやすい我々市民に対して、(弁護士会から選ばれた旨をもっと周知させるとか)もう少しわかりやすい環境は整えられないものだろうか?と、ドノヴァン一家が危険に晒されているシーンを観ながら思った
この難局に黙って立ち向かうドノヴァンも潔いけれど、そのドノヴァンから
「不安じゃないのか?」と尋ねられるたびに
「(そんな質問をして)役に立つか?」(Would it help?)
と、ぶっきらぼうに返すソビエトのスパイ、アベルの落ち着きにも痺れる
最初は「不愛想だな」としか思わなかったけれど、アベルの人柄がわかるにつれて
粋な切り替えし方だと感じるようになった
確かに(親切心で聞いているのかもしれないけれど、解決策も無いというのに)そんな質問には意味がないし、それに答えることには更に意味がない
冷戦時に互いの人質を交換した、アメリカ統治の西ベルリンとソビエト統治の東ベルリンを結ぶグリーニッケ橋の上で、このアベルとパワーズも交換される(タイトルはこの橋と、両国の橋渡し役という意味なのだろう)
公開時に本作を観ていなかったら、2018年にベルリンを訪れた時にこの橋を見に行くこともなかった思い出の作品