引用元:Yahoo!映画
2017年のスウェーデン映画
美術館のチーフ・キュレーターを務めるクリスティアン
若くしてこのポジションに就いた彼は、外見もファッショナブルで、プライベートでも元妻とふたりの娘を育てる理想的な生活を送っている
次の展示会では「ザ・スクウェア」というタイトルで、正方形を地面に描いた作品を発表すべくチームで作戦会議を練っていた
その正方形の中では、すべての人が平等、公平に扱われる、今の社会で問題となっている様々な格差へのアンチテーゼとしての「思いやりの聖域」というコンセプトながら、王道過ぎるためどう宣伝していいのか苦慮していた
会議にも参加させている外部のPR会社は、コンセプトとは相容れない攻撃的なメッセージで意図的に炎上させてはどうかと提案してくる
そんな最中、クリスティアンは通勤中に典型的な複数人でのスリに遭い、スマホと財布と大事なカフスボタンを失くしてしまう
スマホのGPSから犯人(と思われる人)の住むマンションを突き止め、部下の提案で脅迫めいたビラを全戸のドアポストに入れたところ、幸運にも失くしたものはすべて(財布の中の現金まで)戻ってきた
観始めて15分で
「(良くも悪くも)かなりヨーロッパ的な作品だなあ」
と感じ、残りの時間を覚悟して鑑賞した
とにかくあらゆる場面で、描き方も台詞もシニカル
「平等、公平」と言いながら、格差社会を誇張するシーン、物乞いに絡まれるシーンも多く、家庭や芸術への愛情を否定するようなエピソードがわざわざ差し込まれるのを楽しみつつも辟易する気持ちもあって複雑な思いで最後まで鑑賞
一番閉口したのは、PR会社が勝手に進めた攻撃的な宣伝に苦情が殺到し、クリスティアンが謝罪会見をするシーンで謝罪の意を表したところ、ある記者から
「表現の自由の限界という意味か?」
と問われた挙句に「クリスティアンの謝罪が社会全体の表現の自由を奪う越権行為」だとして、まわりの記者たちからも厳しい目を向けられるシーン
また本作のシニカルさは、キュレーターという職業そのものにも向けられているような気もする
常に芸術的な刺激を受けられる魅力的な職業ではあるけれど、取りようによっては「芸術作品の受け止め方を指南する役回り」だから、並大抵の神経では務まらないだろうし、一家言を持っている同僚も多くて大変そう
日本では言語化せず曖昧に終わらせる(或いは抽象的な言葉を選択することが容易な)ところも、欧州では全部言葉にしてロジックで伝えようとするから(日本人の目からすると)必要以上の対立を生んでいるように見えて仕方ない
「さぞかし消耗するだろうなあ」
とも思うけれど、彼らにしてみれば(そこを主張、議論することこそが人格に直結するくらい大事なことだから)心地良い文化的な消耗なのかもしれない
「フレンチアルプスで起きたこと 」と同じくらい、メンタルの筋トレになる映画