引用元:Yahoo!映画
緊急事態宣言が何度も繰り返されるウチに映画館から足が遠のいてしまっていたこともあって、久しぶりに劇場で鑑賞
それだけに観たい作品が複数あって迷った挙句に選んだのが本作(と前回の「アメリカン・ユートピア」)
2020年の作品
アン(オリヴィア・コールマン)は仕事をしながら認知症の父親アンソニー(アンソニー・ホプキンス)の面倒を見ていた
症状の悪化にヘルパーへの依存度を上げて行かざるを得ないというのに「自分で身の回りのことは何でもできる」と思い込んでいる父はあらゆる嫌がらせをしてヘルパーを追い出そうとする
過剰な嫌がらせが癇癪によるものなのか、或いはヘルパーを追い出すための演技なのか判断が付きにくく、それでいてまったく自然なところがアンソニー・ホプキンスの真骨頂
観ているコチラも、親子関係を描いたヒューマンドラマなのか、認知症が引き起こす問題にフォーカスした社会的メッセージを含んだ映画なのか、或いはサイコスリラーなのか判別できないまま振り回される羽目になる
本人はインタビューの中で「実の父親の晩年を真似て演じただけだから簡単だった」と謙遜しているけれど「冬のライオン」から約52年、「エレファント・マン」から40年、そして「羊たちの沈黙」から29年という、いつの時代がピークなのかも判断できないくらい長く充実したキャリアの集大成とも言える作品
という表現さえこれからも名作を残すであろう彼には失礼な表現になるのか
一日のウチでも記憶が繋がらない状態になったアンソニーは、アンやヘルパーへの嫌がらせどころではなく、自らも含めて誰を(何を)信じていいのかわからなくなる
視界がぼやけるように記憶が不確かになり、日によっては娘の顔も認識できなくなる
自分が迷惑を掛けることを周囲が心配しているのか、怒っているのか、憐れんでいるのかも分からないことなど、気難しい皮肉屋で通してきたアンソニーにとっては到底受け入れられないことだろうに自身にはその状況から抜け出す術もなく、そして助けを乞うこともできない
それでも愛想を尽かすことなく今できることを模索するアンの姿に(本人が自覚することもないけれど)この上なく恵まれたアンソニーの晩年が描かれる
本作の重要なポイントは「アンソニーの視点で描かれる」こと
従ってコチラも途中で辻褄が合わなくなったりしてストーリーを追うのに苦労もするけれど、その分臨場感を丸ごと抱えたまま周囲の困惑や苛立ち、またそれに対する本人の不安や恐怖を感じながら観られる
アンソニーの記憶が正しくないことが判明するシーンが何度も、そして徐々に程度が酷く描かれる
本編が始まる前から嫌な予感はしていたのだけれど、斜め前の席に座っている高齢の男性がそうしたシーンになる度に
「うわー」
と声をあげるのだ
座る時に言う「どっこいしょ」程度ならまだしも、感じたことや見たことをそのまま口にするタイプの方なのだろうけれど、映画館でご一緒するのは辛い
「劇場の難点はこういうところだよなあ」
と、しばらくは空いている席に移ろうか迷っていたけれど、アンの献身的なサポートを考えれば、そしてやがては自分が行く道かもしれないと思えば、これくらい平気で受け入れなければ、と思い映画に集中しようとした
時々、ショックの描き方が間接的になると男性の発声が無かったりして
「そこで、うわーでしょ!」
と心の中でツッコミながら最後まで鑑賞
スクリーン上のシリアスな認知症と、斜め前の可笑しな状況に老化について考えさせられたのは劇場ならではの魅力か?