引用元:filmarks.com
先月、全国初の逮捕者が出た「ファスト映画」
YouTubeに無断で短縮した映画をアップしたものに対して、違法であると宮城県警が判断したことも理解できるし、こうした違法行為でお金儲けをしようとする人がいるのも(良い悪いは抜きにして)理解できる
理解できないのはファスト映画に需要があること
映画の「予告」は、どんなものかチェックして面白そうならフルで観ようというもので基本的にネタバレは無いし、そもそもの目的が映画の広告宣伝
これに対してファスト映画は「10分で映画を観たことにする」もの、或いはそれを観て気に入れば(象徴的なシーンをすべて見た上で)改めてフルで観るというもの
「あとがき」だけ読んで書く読書感想文の宿題でもないだろうに、或いはフルコースの料理をひと通り摘まんで美味しかったら改めて最初から味わうわけでもないだろうに
時間の惜しみ方を間違えていると思う
忙しいのが理由なら月に一本に絞れば良いだろうし、思いの外つまらなかったとしてもそれはご愛嬌(自己責任)
それも含めての娯楽だし、失敗によって絞り方を身に着けていくだけの話
被害者でもないから騒ぎたくはないけれど、この需要は質が悪いというか事の本質にかかわることだという気がする
数秒単位で面白いものを追求しているつもりかもしれないけれど、結果心に残ったものはいくつあるのか
こうした問題は中国語圏でより顕著らしく、自分が理解できない作品の楽しみ方が複数の国に広がっていることに正直なところ驚きしかないし、これを世代の問題として片づけてしまえるものだろうかとも思う
2011年の作品
依頼主の自宅近くで、偶然中学の同級生、行天(松田龍平)に会い、話の流れで車でまほろ駅まで送り、さらには自宅兼職場に泊めることになる
中学の時と違ってよく喋るようになった行天は、いつまでも出て行こうとせず、結果的に多田の仕事を手伝うようになる
バスが時刻表通りに自宅前を通過するのを(間引き運行していないか)確認する仕事や、チワワを預かる仕事や、部屋のドアを直す仕事など、小さな仕事をその都度依頼主に振り回されながらこなしていく
そんなふたりは共に結婚生活に失敗していて、、
原作小説(三浦しをん)が忠実に映像化されている分、本作で描かれる多田と行天の生活感には小説のフィルターがかかっている印象
それを世界観として味わえるかリアリティの欠如と片付けるかで本作の評価は分かれるだろう
行天が子供と一緒に「フランダースの犬」の最終回(天使たちの絵)を見るシーンが印象的
「人となり」が伝わるエピソードを自然に挿入するのも作家のテクニックなのだろうけれど、映像にすると微かな違和感があり、それはそれで効果的に感じられる