引用元:amazon.co.jp
1960年の映画
数か月後に検事になれることが決まっている小野木(津川雅彦)
ひとりで観劇に行った際に、たまたま隣の席にいた結城頼子(有馬稲子)が体調を崩してしまったため、劇場内の医務室に連れて行き、成り行きで帰りもタクシーで送る
翌週、「その時のお礼も兼ねて」と頼子から食事の誘いがあり、それをきっかけにふたりは親密になるも、いつまでも住所も電話番号も知らせない頼子に小野木は不安を感じる
松本清張が原作の映画は自然と小説を読む感覚で観ることになるから、役者は(決して没個性というわけではなく)ある程度抑制の効いた演技が求められるような気がする
そういう意味では、最初は違和感を感じた小野木の無表情な演技も(新米検事ということもあって)徐々に自然に感じられた
そもそも観る側が、松本清張の映画を観ているという意識があるから、結末で読み応え(観応え)さえ感じさせてくれることを信じて(多少の違和感があろうと)ついて行く
普段の小説なら読者のペースで読み進められるところを映画となるとそのささやかな権利さえも無くなってしまう
話の展開が急だろうが役者の台詞が状況説明的だろうが構わない、という明確な主従関係にむしろ小気味よさを感じる
本作に登場する(だるま市やそばで有名な)深大寺門前にある蕎麦屋は、当時小野木と頼子になりきった(?)カップルで大いに繁盛したという
周囲には20軒もの蕎麦屋があって行列店も多いということだから、ワクチン接種が落ち着いた頃に行ってみようと思う