引用元:amazon.co.jp
1980年の作品
日露戦争における最も過酷な旅順要塞(二百三高地)攻防戦を描いている
ちなみに二百三高地というと内陸をイメージする人もいるかもしれない(いないか?)
実際には大連の先にある港町で、旅順の旧市街地から2キロ程度離れた丘で、海抜203メートルにあることからこう呼ばれた
旅順の港に停泊している艦隊を撃破するには、二百三高地は絶好の位置にあり、両軍にとって是が非でも落としたい(守りたい)場所
開戦前の閣僚会議、ロシア軍の戦力を熟知している伊藤博文(森繁久彌)は、戦争回避を主張する
対する開戦派も、早目にロシアを攻撃し講和に持ち込む考えで(日本の戦力では)まともに相手ができるとは思っていなかった
そして明治37年、御前会議で明治天皇が開戦の決議を裁可を下し日ロ戦争が始まる
当初日本は、陸海共に破竹の勢いで進撃し、伊藤は金子堅太郎(天知茂)にアメリカのルーズベルト大統領との講和の調停役を引き受けるように説得する
しかし戦況は次第に不利になり、陸軍は新たに第三軍を編成し乃木希典(仲代達矢)を指揮官とし、ロシアが世界一の要塞を築いている旅順の陥落を命じるも要塞から放たれる機関銃の前に日本軍兵士たちは屍の山を築いていく
司令部がついに203高地攻撃を決定した日、ロシア語の通訳を命じられていた小賀(あおい輝彦)は、捕らえたロシア兵が発した侮蔑的な発言に感情を爆発させ「戦場の兵士には国家も司令官も関係なく、焼かれていく苦痛があるだけ」と叫びロシア兵に切りかかってしまう
金沢で国語教師をしていた小賀は、ロシア文学を通じてロシアとロシア人を敬愛する穏やかな男だったのに、過酷な戦場での経験ですっかり変わってしまっていた
そして12月6日、ついに二百三高地攻撃が始まる